育児をしていて、イライラしない日はありません。
程度は違うけど毎日怒ったり、怒鳴ったりしてます。
そして、そのほとんどがちゃおが原因じゃなくて、私のやつあたり。
今日も怒ってしまった。ちゃおごめん。反省の毎日です。
反省が続くと育児に自信がなくなります。
そして、またイライラしてしまう。
なんで余裕がないんだ、心が狭いんだと自分を責めてしまいます。
でも自分を責めてるだけでは、負のスパイラルから抜け出せない。
自分のせいじゃなくて周りののせいにしてみよう。とただただ環境に対しての愚痴を書いてみました。
①娯楽が多すぎ

私の場合、イライラの根本は「自分の時間がない。」から来ています。
じゃあ、「自分の時間」で何をしたいのかというと、ゲーム、アメリカドラマ・YouTube鑑賞、ネットショッピング、読書をやりまくりたい。見まくりたい。
書いたものって、今年還暦を迎える母親世代にあったかというと、ほとんどありません。
読書を除いて、ゲーム、メディア鑑賞、ショッピングはここ10数年につくられたもの。
現代っ子は娯楽が多いことによって、娯楽耐性が弱くなっていると思うんです。
やるべきことよりも優先して、ゲームをしてしまったり。
出勤前日なのに、ネットサーフィンして睡眠時間が3時間になってしまったり。
学生時代や独身時代の生活はこんなでした。
今は育児が私の仕事ですが、昔と同じです。
ちゃおの世話はしなくていけないけど、ゲームしたい。ドラマみたい。となっています。
娯楽がもっと少なければイライラも少なくなっていたはず!
②子供と親の距離感が近すぎる

みなさんトトロの映画はみたことありますよね?
トトロの中に育児の理想の姿がありました。
物語冒頭に(確か)引っ越してきた田舎の家でお父さんが窓際で仕事をして、サツキとメイは庭で遊んでいる場面があります。
サツキとメイは思いっきり遊びながらも父親に見て欲しい、聞いてほしい話があればすぐに話しかけられる。
お父さんも、育児をしながら仕事をしています。
子供を放置するのではなく、遊ばせながらも見守る。
子供も遊びながらも親の眼差しを感じて安心感がある。
お互いストレスがある訳ありません。
我が家は1LDKのマンション住まい。
家事をしている途中、ちゃおが泣くと思うように進みません。
泣いていなくたってどこか汚したり、壊したり。
掃除や後片付けに追われます。
ちゃおも狭い空間で「あれしてはダメ」「これしてはダメ」と言われて窮屈そう。
外で遊んだとしても、車やトラックが多くて手をつながないと危ない。
奇麗な花1つ摘んであげたくても、勝手に採ってもいいのか気にしてしまう。
家から出ても全く自由はありません。
親子との距離感もずーっと近いです。
お互いがのびのびできる距離感がほしい。
サツキとメイの家で子育していればもっと楽しい。
③一人で育児をするって不自然

大人一人が近くにいるだけで、その人が育児を手伝ってくれなくても疲労感が全く違います。
ちゃおの世話をしながら、たわいもない話をするだけで楽しい。
「母親が子供と一対一で育児をするのは人間の歴史上初めて」だとどこかの本にも書いてありました。
確かに、母親世代は好きか嫌いかは別にして姑さんが居たり、近所の人や親戚の人が頻繁に家に来たり。
もっと昔は小学生の子供が弟、妹をおんぶして学校に行っていました。
お母さんは子育てどころはなく、家族を養うために仕事をしなくてはいけなかったのですから。
子供と二人きりの時間が今に比べるとすっごく少なかったのだと思います。
ちゃおは可愛い。
でも、誰とも話さずいるとなぜか知らないけど、どっと疲れが出てしまいます。
そんな時は自分を責めず、歴史的にみても新たな試みをしているんだ。
耐えてみようと変な発想をして環境のせいにしています。
④子供に対しての知恵がない

ちゃおを育てる前に、子供はどうやって成長するのか。どのくらいで何ができるのか。などの知恵があればもっと余裕があったはず。
もし近所や家族に小さな子供がいて、成長の過程を見れていたら今とは感じ方が違います。
部屋を散らかしても「姪っ子もこんなだったな~。」
夜中に何度も起きても「辛いけど近所の〇〇さんは、4カ月になったら夜は寝れたと言ってたな。」
と余裕があるはずです。
妹達が育児をするようになったら私の姿が知恵になるのかと。
うらやましい。
私はお手本がなかったのでちゃおの日々の変化に悪戦苦闘。
子育て雑誌にあることはリアルな子育てとは全然違う。
もっと泥臭くて、過酷。
子供に対しての知恵があれば、もっと大きな心でちゃおを見ることができたし、ちゃおの成長過程も分かっていたと思う。
まとめ
今書いたように子育てでイライラしてしまうのは、私だけが原因ではない。
多すぎる娯楽、子供のとの近い距離、歴史にない一人での育児、全く知らない子供との育児。
環境のせいだと思うと、少しだけ自分を責める気持ちがなくなりました。